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天満・天神橋のおすすめ記念写真撮影スポット【御迎人形(お迎え人形)】

      2018/04/06

「日本一長い天神橋商店街にきました!」と、わかる記念撮影スポットのひとつ
“御迎人形”です。

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場所は天神橋商店街を北から南へ歩き天神橋二丁目商店街の入り口です。

南森町の交差点や商店街と国道号線が交わるところです。

左上=羽柴秀吉、
右上=佐々木高綱(真田幸村)、
左下=八幡太郎、
右下=安倍保名。

横断歩道を渡って向こうから天神橋三丁目の方を見てもまた別のお迎え人形があります。

img_20161005_085026こんな感じです♪

左上=雀踊、
右上=胡蝶舞、
左下=三番叟、
右下=関羽。

 

お迎え人形って何?

日本三大祭の天神祭りで、船渡御をする御心霊を出迎えたものが「御迎人形」です。このアーケードの人形はそれらをモチーフにしています。
本物は雀踊以外大阪府の有形民俗文化財に指定されています。
詳しくは天神祭総合情報サイトにまとめられていたのですが、改行されておらず少し読みにくかったので、引用したものを縦長に改行してたものを記載しておきますね。

ここからです。
「御迎人形とは」
↓↓↓

江戸時代、大坂の淀川沿いには
諸藩の蔵屋敷が立ち並び、
堂島の米市場、天満の青物市場、
雑喉場の魚市場と
三大市場の繁栄とともに、
天神祭は盛大化していきました。
その江戸時代前期、
町人文化(元禄文化)が
花咲く元禄期に、
御旅所は常設されました。

この御旅所周辺の町々では、
天神祭の様々な趣向を凝らした
風流人形をこしらえました。
これが、御迎船人形(御迎人形)の始まりです。

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当時、船渡御を迎えるため、
御旅所周辺の町々が祭礼に
先立ち各町で飾り付け、
祭り当日に船に乗せて御旅所から
大川を上り、船渡御の一行を
御旅所まで導く役割を担っていました。

 

この頃に登場した御迎人形は、
七寸八寸(二・四m)ほどの大きさで、
船上に立てた棒の先に高く飾り、
大型の雪で照らしていましたが、
享保期(1716〜36)頃から
約一丈五尺(四・五m)の大型人形も作られたといいます。

 

御迎人形の多くが、浄瑠璃や歌舞伎の
登場人物を題材としていました。
これらの人形は船上に
設けられた舞台に人形をセットし、
物語性が演出されるように工夫されました。
文楽人形の細工人たちが作った
御迎人形には頭や手足を
動かすカラクリが
ほどこされていました。

歌舞伎の見栄を切る人形もあれば
恵比寿のように鯛を釣り上げる人形もありました。
また、御迎人形が必ず赤(緋)色を
身につけているのは
「疫病(疱瘡)祓い」
という意味があります。
多いときには延べ数は50体を
超えたといわる御迎人形ですが、
現在は16体しか残っていません。
幕末・維新期の天神祭の中止や
大戦の影響などにより
人形数は減少してしまいました。
人形たちを支えた町はその姿を変え、
戦後は人形が船に乗せられることもなくなったのです。
現在、毎年、天神祭の時期に
天満宮境内と帝国ホテルのロビーなどに
数体ずつ飾られています。

以上 天神祭総合情報サイトからの転載でした。

人形は大きく迫力満点ですよね。

商店街アーケードの出入口なので
一緒に記念撮影される時は
通行人の方が少ない時を狙い目にしましょう。

といっても年中にぎわっていますが…

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 - ライター河野(運営者), 天満・天神橋のあれこれ